フレイルやがん治療における漢方の活用~前編~
2022.06.08フレイル・サルコペニア神奈川県立がんセンター
東洋医学科部長
板倉英俊
がん患者の生命予後は、様々な抗がん剤の登場により飛躍的な改善を遂げてきた。しかしながら、患者QOLの点では未だ多くの課題が残されており、近年、QOLの維持改善に向けた支持療法の一つとして漢方が注目を集めている。
そこで今回は、板倉英俊先生(神奈川県立がんセンター 東洋医学科部長)に漢方サポートセンターの活動概要、漢方サポートチームによる介入効果の検討結果などについてお話を伺った。
漢方サポートセンターの概要
◆漢方サポートセンターの発足
神奈川県立がんセンターは1973年に神奈川県立成人病センターとして発足し、主にがんを中心に高血圧症、糖尿病などの成人病を対象に診療を行っていました。その後、社会環境の変化や人口構造の高齢化に伴う高度専門医療のニーズの高まりを受け、1986年に神奈川県立がんセンターへと改編され、がん治療の中枢的機関として悪性腫瘍の診断や進行がんの集学的治療を行っています。
神奈川県立がんセンターでの漢方診療の歴史は古く、少なくとも1986年以前にまで遡ります。当時の事例としては、漢方薬による大腸がん肝転移症例の長期生存例などが報告されています。このように、当院は漢方薬使用に対する抵抗感の比較的少ない病院ではありましたが、組織だった形での漢方医学への取り組みは進みませんでした。その後、2005年に脳神経外科の診療枠内での診療が、2007年に脳神経外科の特殊外来として”漢方外来”が開始され、2014年4月から東洋医学科(漢方サポートセンター)が正式に単独診療科として診療にあたっています。
◆がんサポートケア、がん支持療法の体制整備
当院に漢方サポートセンターが設置された背景の一つとして、がん対策の加速化に向けた政府の方針があります。
2015年12月、厚生労働省は『がん対策加速化プラン』を策定しました。同プランでは、がんの予防や早期発見を進めて「避けられるがんを防ぐ」こと、がんの治療や研究を推進して「がんによる死亡者数の減少」につなげていくこと、がん患者の就労支援や緩和ケアなどを含む包括的な支援によって「がんと共に生きる」ことを可能にする社会の構築が目標に掲げられています。
がん治療では抗がん剤の開発が進み、効果も高くなってきましたが、副作用は増加しています。抗がん剤治療を受けている患者の約20%が、倦怠感、口内炎、食欲不振、便秘といった副作用による身体的苦痛を感じているとの報告もあります。
そこで、『がん対策加速化プラン』では実施すべき具体策として、療養生活の質を向上させ、さらに患者が無理なく仕事と治療を両立できるようにするため、治療に伴う副作用・合併症・後遺症の実態を把握し、それを踏まえた支持療法に関する研究を進めること、 とくに術後の合併症・後遺症を軽減する観点から、栄養療法、リハビリテーション療法や漢方薬を用いた支持療法に関する研究を進めること、 患者視点の評価も重視した、支持療法に関するガイドラインの作成に向けた研究を進めることとされています。
こうした背景のもと、当院でもがんサポートケア、がん支持療法の体制整備の一環として漢方サポートセンターが設置されました。
漢方サポートセンターで提供するサービスの中心は医療漢方エキス製剤の処方ですが、外来では煎じ薬の処方も行っています。また、状況に応じて鍼灸治療、セラミック温灸機、つぼシールなども活用しています。
◆漢方サポートチーム
当センターの漢方サポートチームの構成メンバーは、常勤の東洋医学専門医1名、非常勤の東洋医学専門医1名と東洋医学認定医1名、常勤の看護師1名、鍼灸師1名となっています。
チームメンバーの看護師には、私が漢方医学に必要な知識を全てレクチャーしました。現在の看護教育では、漢方医学に触れる機会はありません。しかしながら、かつて看護教育のカリキュラムに組み込まれていたナイチンゲール看護学には、漢方医学と類似した点が数多く見受けられます。ナイチンゲール看護学では、患者をじっくりと観察して、全身的にケアすることを重視しており 、自然治癒力が発動しやすいよう援助し、生命力の消耗を最小にする援助の考え方は、漢方医学の虚証(フレイル)に対する治療法に近い考え方です。そこで、私もチームメンバーの看護師に漢方医学の基礎を説明するに当たっては、ナイチンゲール看護学を勉強すると互いに学び合いました。漢方医学もいわば患者に「寄り添う医療」であり、患者に寄り添うことは看護師が最も得意とする分野です。今後、より多くの看護師に漢方医学に関わってもらえればと期待しています。
また、漢方サポートチームは他医療施設から1人の医師を研修生として引き受けています。漢方サポートチームに携わるようになって1年半になりますが、鍼灸治療や煎じ薬も処方できるようになりました。
なお、薬剤師に関しては、現在のところ漢方サポートチームへの関与は少ない状況です。神奈川県立がんセンター内に漢方医学の知識を修得した薬剤師が在籍してないため、今は止むを得ませんが、今後は、当センターの連携先である東邦大学薬学部や横浜薬科大学で育った若い世代の薬剤師に、漢方サポートチームに関わってもらいたいと考えています。
◆緩和ケアによるQOLの維持
「がん支持療法」は 1980 年代、欧米においてがん治療から発展した考え方で、治療に伴う副作用の軽減やリハビリテーションなど抗がん薬治療以外の様々な治療を指します。一方、「緩和ケア」は1970 年代にカナダから提唱された概念で、ホスピスケアを含め、死に向かう過程において積極的に提供されるケアです。
かつて、緩和ケアはがん終末期の患者に行われるものと考えられていましたが、近年はがん診断時から開始して、少しずつ緩和ケアの割合を増やしていくという考え方に変化しつつあります。このため、できるだけ早い時期から外来で緩和ケアを行いながら、患者QOLを良好な状態に保つことが重要になります。
しかしながら、現在の緩和ケアは疼痛に対するケアは発達しましたが、食欲不振や倦怠感などのQOLの別の側面に対しての方策が確立されていません。こうした状況において、漢方医学は患者QOLの改善に、多くの選択肢を提供出来ると考えます。
漢方サポートチームによる介入効果の検証
◆漢方医学研究の問題点
一般に、漢方医学に関するエビデンスは少ないと考えられがちですが、それは研究方法に問題があるためではないかと考えます。現在の漢方医学研究の多くは、一定期間、同じ漢方薬を処方して(例えば胃がん患者には補中益気湯など)、その有効性を評価しており、漢方医学的に見た病態の変化は考慮されていません(図1)。
⬆図1 従来型漢方研究の問題点
しかし、本来の漢方医学では、刻々と変化する患者個々の病態に応じて処方を変更していく必要があります。例えば、同じ胃がんという診断であっても、初診時の漢方医学的病態は人によって様々であり、処方する漢方薬も異なります。これを「同病異治」といいます。さらに、同じ一人の患者でも西洋医学的介入によって漢方医学的病態が大きく変化するため、その時々に応じた漢方薬を処方しなくてはなりません。漢方医学のエビデンスを確立するためには、このような本来の漢方医学の治療法を踏まえた上で、効果を検証する必要があります。
◆漢方サポートチームの介入効果を検証
近年、臨床栄養領域では栄養サポートチーム(NST)の介入効果に関する研究報告が行われていますが、漢方領域ではそうした取り組みが進んでいません。そこで、当センターでは、漢方サポートチームの介入効果について検討を行うことにしました。
がん患者を対象としたこの研究では、漢方サポートチームの介入、漢方医学的な診断に基づいた漢方薬の処方、養生・薬膳・鍼(生活指導)を含めた漢方外来としてのBest effortを行いました。
《対象と方法》
観察期間は2018年10月1日から2019年12月28日の前向き1年2か月、対象は期間中に当センターを受診した新規外来患者としました。評価項目は3か月間の漢方サポートチームの介入による患者QOLの変化とし、QOLの評価にはEORTC-QLQ C30(The European Organization for Research and Treatment of Cancer QLQ-C30)を用いました。
EORTC QLQ C30は、がん患者のQOLを評価するために欧州がん研究・治療機構によって開発された調査票です。症状や日常生活への支障の程度に関する30項目の質問からなり、患者自身で記入する方式になっています。調査は以下のような尺度に基づいて実施します。
●全般的QOL(1尺度)
●機能(5尺度): 身体、役割、情緒、認知、社会生活
●症状(9尺度): 疲労感、嘔気・嘔吐、疼痛、呼吸困難、不眠、食欲不振、便秘、下痢、経済的困難
《結果》
観察期間中に当センターを受診した新規外来患者は232例で、そのうち介入3か月後にEORTC-QLQ C30による調査を実施した164例を解析対象としました。解析対象からの除外理由は自己中断22例、転院21例、死亡17例、帰国2例、治験1例、移植1例、改善による診察終了4例でした。
対象患者の性別は男性30.5%、女性69.5%で、がん腫は乳がん34.1%、大腸がん14.6%、肺がん12.2%、膵がん9.8%、子宮がん7.9%、血液がん6.7%、胃がん3.7%、前立腺がん1.8%、卵巣がん1.8%、肝細胞がん1.2%でした。ステージ分類では、ステージⅠが18%、ステージⅡが13%、ステージⅢが14%、ステージⅣが48%、血液がんが7%でした。パフォーマンス ステータス(PS)はPS 0が9.8%、PS1が78%、PS2が11.6%、PS3が0%、PS4が0%で比較的PSが保たれていました。
漢方処方の内訳は95%が約60種類の医療漢方エキス製剤、5%が保険で処方した煎じ薬でした。本試験の実施時にはまだ鍼灸などのツールが整備されておらず、ほぼ医療漢方エキス製剤の処方だけで行われました。
漢方サポートチーム介入前後のQOLは、全般的QOLの1尺度および機能の5尺度すべてで有意に改善しました(図2)。症状の9尺度では疲労感、嘔気・嘔吐、疼痛、食欲不振、便秘、経済的困難が有意に改善しました。呼吸困難、不眠、下痢に治療前後で有意差は認めませんでした。この集団で嘔気・嘔吐を訴える患者は多くありませんでしたが、これは嘔気・嘔吐がある患者は漢方薬を服用できないと考えて漢方外来を受診しなかったと考えられます。また、食欲不振は漢方サポートチーム介入開始早期から改善が認められました。
この結果から、PSの保たれているがん患者に対する漢方サポートチームの介入によって、QOLが改善する可能性が示唆されました。
⬆図2 漢方治療前後の機能の変化
抗がん剤の有効性評価には5年生存率などの生命予後が用いられますが、がん治療の本来の目的を考えると、生命予後だけでなく患者QOLを改善することも重要です。本試験は大規模試験でも、二重盲検でもありませんが、がん患者のQOLに対する漢方医学の有用性を示す、一つのエビデンスにはなったのではないかと考えます。
◆今後の課題
今後、がん治療の領域で漢方医学を広めていくためには、臨床栄養領域におけるNSTのように、漢方サポートチームによる専門的な介入が欠かせません。その中核を担うのは医師ですが、医師全体の約90%に漢方薬の処方経験があるとされる一方で、十分に漢方医学を学んでいる医師はわずか10%以下にすぎません。全国に2,148名いる東洋医学専門医を有効活用し、漢方医学を学んだ医師による漢方サポートチームの整備が望まれます。
漢方医学の根底にある思想
◆がん支持療法ではEBMに加えNBMも重要
がん支持療法を行うにあたっては、「向き合う治療」と「寄り添う治療」を同時に使い分ける必要があるといわれています。「向き合う治療」とは、医師の目線で客観的に病態を把握して対策を考える治療を指し、Evidenced Based Medicine(EBM)の考え方に基づくものです。一方、「寄り添う医療」とは、医療者が患者の隣で傾聴し、共感し、ともに対策を考える医療で、Narrative Based Medicine(NBM)と言い換えることもできます。「Narrative(物語)」という語から分かるように、NBMは対話を通じて患者が語る「物語(病気になった理由や経緯、病気に対する現在の認識など)」から、病気の背景や人間関係を理解し、患者の抱えている問題に対して全人的(身体的、精神・心理的、社会的)にアプローチしていこうとする臨床手法です。
現代医学では、EBMが世界的な主流となっていますが、がん支持療法においてはNBMも重要であると考えます。
◆天人合一思想による物語的治療
西洋医学では、NBMについて「患者の語る『病の物語』を尊重する、医療のあらゆる理論、仮説、病態説明を『社会的に構築された物語』として相対化する、複数の物語の共存や併用を許容する」ものとして理解されていますが、その実現には未だ至っていません。この背景には、現代西洋医学の歴史の浅さがあると思われます。
一方、東洋医学には「天地人」という考え方があります。「天」は季節・気温・天気など環境の変化、「地」はコミュニティ・家族構成・通院状況・生活習慣など周囲の状況、「人」は精神状況・自律神経・内分泌・身体的要因 サルコペニア・フレイルなど身体的要因を指します。東洋医学では、天で養生(天人合一)、地で養生・鍼灸(心身一如)、人で漢方・鍼灸(心身一如)を目指します。
天人合一とは、かつて中国で考えられていた、天と人間とは本来的に合一性を持つ、あるいは人は天に合一すべきものであるという思想です。東洋医学ではこのような天人合一思想に基づき、物語的に治療をしていくことが特徴です。
◆「心身一如」に基づく治療体系
漢方医学の特徴をあらわす言葉として「心身一如」があります。西洋医学は「心と体は別のものである」という要素還元的な考え方に基づいて発達してきました。それに対し、漢方医学は「心と体はお互いに強く影響し合う」という「心身一如」の考え方に基づいた治療体系となっています。
漢方医学では物質的な側面だけでなく、精神的な部分の機能もそれぞれの五臓がコントロールしているという立場をとります。つまり、心と身体を分けて評価するスケールでは、漢方医学を評価できないということです。近年は、西洋医学でも物質的な要素だけでなく、精神的な要素を含んだストレスが重視されるようになっており、その点では漢方医学に近づきつつあるのかもしれません。
私が漢方医学を志すに至った経緯
板倉英俊先生
私が幼い頃に体調を崩すと、当時薬剤師をしていた母親から漢方薬をよく飲まされた記憶があり、もともと自分にとって漢方は比較的身近な存在でした。そのため、医学部に進学する際にも、漠然と漢方医学を専攻しようと思っていたのですが、学生時代や研修医時代を通じて“救急救命治療ができなければ一人前の医者とはいえない”といった教育を叩き込まれた影響もあり、一度は循環器科の道を選択しました。
循環器科に入局後は、不整脈治療を専門に診療に当たっていたのですが、カテーテルアブレーション治療などを繰り返す日々を送っているうちに、“人”を診ているという意識が次第に希薄に
なっていくような気がしたのです。そこで、総合診療科に移ることを決意し、一度は断念した漢方医学の道を追究することにしました。長い歴史を持つ漢方医学には学ぶことが多く、漢方医学を専門に教えてくれる学校にも土日を利用して8年ほど通いました。
後編につづく
《編集部》
以上、前編では、神奈川県立がんセンターにおける漢方サポートセンターの活動概要、漢方サポートチームによる介入効果の検討結果を中心に取り上げた。後編では、フレイルやがん治療における漢方の活用とエビデンスについて掲載する。
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