「手術前には「筋肉」と「腸」を鍛えましょう! プレリハビリテーションとシンバイオティクスの有用性」
第30回腸内細菌学会学術集会 市民公開講座「腸内細菌と運動」
| 栄養ニューズ PEN 2026年8月1日号 |
演者:横山幸浩(愛知医科大学 外科周術期管理学寄附講座 消化器外科)
座長:髙橋恭子(日本大学 生物資源科学部 応用生物科学科 分子免疫生物学研究室 教授)
要旨:愛知医科大学医学部 外科周術期管理学寄附講座 教授の横山幸浩先生は20年以上勤務された名古屋大学で名古屋大学外科周術期管理学寄附講座の教授および名古屋大学希少がんセンターのセンター長を兼務され、肝胆膵領域のがん患者の術後合併症を防ぐアプローチを研究された。その間、がん患者の手術前待機期間における「筋肉の増強」の有用性に着目した研究成果、さらに「腸内細菌叢の改善」によって大手術の侵襲後に発生する感染性合併症が抑制されることを報告した。また、両者間で予想される深い関係性についても知見を述べた。
20年以上にわたる研究の概要
私は消化器外科の中でも重篤な肝臓、膵臓、胆道のがんを扱う肝胆膵(かんたんすい)領域で長年手術を行ってきました。本日は、私が名古屋大学に20年以上勤務する中で蓄積してきたデータをご紹介します。この3月末に65歳で定年を迎えたため、現在は愛知医科大学へ異動しましたが、現在も同様の研究を続けています。
この領域の治療では非常に大きな手術が必要ですが、術後合併症という手術に伴う様々な不具合が極めて高い確率で発生します。この合併症を何とか減らせないかと長年研究を重ねた結果、辿り着いたのが本日のテーマです。実はその内容は、我々外科医がどれだけ手術の腕を磨いても、それだけでは解決できない、「患者さんご自身に取り組んでいただく必要があること」なのだと、20年の経験を経て気づきました。本日はその取り組みについてお話しします。要点は大きく2点です。1点目は「手術前に筋肉を鍛える重要性」、2点目は「腸を鍛える重要性」についてです。
サルコペニア診断に重要な筋肉量の測定とその方法
最近「サルコペニア」という言葉を耳にする機会が増えていると思います。これは、ギリシャ語の筋肉を表す「sarx」と医学用語で減少を意味する「penia」を合わせた造語で、1989年にアメリカで提唱された、加齢に伴う筋肉量の減少のことです。
その筋肉量の測定法ですが、現在の方法は大きく2つに分けられます。1つ目は、「生体電気インピーダンス分析法」で、体に微弱な電流を流し、筋肉量を推測する方法です。体重計に乗るだけで測定できるため、非常に簡便で扱いやすいのが特徴です。市販の体重・体組成計や、医療現場では「InBody(インボディ)」という大型の機器を使用します。しかし、私たちが執刀する患者さんの多くは手術前から体に様々な管が挿入されていることが多く、それによって電流が乱れて正確なデータが得られません。
もう1つは、お腹のCT検査を利用する方法です。悪性腫瘍に対して腹部外科手術を受ける患者さんは手術前に必ずCTを撮影します。その画像を利用して、第3腰椎(腰の骨の3番目)の位置で「大腰筋」の面積から筋肉量を割り出します。大腰筋は上半身と下半身を繋ぐ筋肉で、二足歩行の生物で発達し、四足歩行の生物にはあまり必要がないため発達していません。主な役割は足を上に持ち上げることで、登山される方などはこの大腰筋が非常に太くなっています。大腰筋の太さは、私たちが患者さんを診察する際の様々な病状や予後の所見と強く相関するため、私はこれを「体の中で最も重要な筋肉」と呼んでいます(図1)。

実際の測定方法は第3腰椎の高さにおいて、背骨の横にある太い筋肉の面積を測るだけの単純なものです。生体電気インピーダンス法で計測した筋肉量とCT画像の大腰筋の面積はきれいな正の相関関係となります。したがって、CT画像を見ることで、その方の筋肉量をほぼ推測できます。何よりCT画像を用いた測定の利点は、患者さんの状態に関わらず確実に筋肉量を算出できることです。
活性酸素は、私たちが酸素を消費するプロセスで約2〜3%の割合で生成されます。この活性酸素には細菌やウイルスを退治する免疫機能としての働きがある一方、デメリットとしては正常な細胞や遺伝子にもダメージを与え、遺伝子の点変異などを引き起こします。私たちの体内で起きた遺伝子へのダメージが修復されずに残ると、がんの発症や重度の糖尿病、その他様々な不具合の原因となります。したがって、弱すぎる運動は効果が期待できず、会話ができないほど息が上がる強すぎる運動は体に悪影響を及ぼします。重要なのは、歌は歌えないものの、なんとか会話が続けられる程度の強度です。これはすべての人に共通する感覚的な指標です。
大腰筋の減少を防ぐ運動とタンパク質摂取
大腰筋の面積は年齢によって大きく変化します。20代男性の大腰筋は非常に太く、中身が詰まっていますが、30代、60代と年齢を重ねるにつれて、次第に細くなっていきます。通常、体格は20代の頃よりその後の方が大きくなっていく方が多いと思いますが、外見は大きく見えても、実際の大腰筋は目に見えて細くなっていくのです。
一方で、80代男性でも素晴らしい筋肉を維持されている方もおられ、お話を伺うと、定期的にジムに通い、筋トレを続けているそうです。つまり、80歳を過ぎても筋肉は維持できるのです。女性の場合、筋肉は全体的に男性よりも細い傾向にあり、やはり加齢とともに細くなり、90代の寝たきりの女性の例では、まるで板のように薄く細くなっていました。こうなると自力で立つことができなくなってしまいます。
私は愛知県長久手市にある東名病院に週1回勤務し、担当している「腹部ドック」ではお腹のCTを用いて様々な病気を発見すると同時に、体組成の測定として大腰筋の面積も計測しています。約300人分の集計データからは、年齢とともに大腰筋の面積が確実に減少していく様子が分かります。20代の頃と比較して、70代や80代では大腰筋の面積が約半分にまで減少します。この腹部ドックで実施している血液検査の数多くの検査項目の中で、大腰筋面積と最も強く相関していたのが「血清アルブミン値」でした。血清アルブミンは医療現場では体内のタンパク質量や栄養状態の評価に使われる指標で、筋肉量の減少にともなってアルブミン値も低下していきます。これらのデータから、高齢になるほどタンパク質をしっかりと摂取しながら運動を行うことが極めて重要であることが分かります。
1日の歩数による健康分類の驚きの結果
住民の皆さんは必ず、2,000歩刻みで分けられた5つのグループのいずれかに属して生活しています。最も活動的な「1日10,000歩・中強度運動30分」、次いで「8,000歩・20分」、「6,000歩・10分」、「4,000歩・5分」、「2,000歩以下」の順に分けられます。興味深いことに、最上位の「10,000歩」グループと2位の「8,000歩」の比較では、病気の発症率や寿命において統計的な有意差は見られませんでした。しかし、活動量が「8,000歩」から「6,000歩」に低下すると状況が変わります。年齢、性別、喫煙の有無などの影響を統計的に調整し、「運動量の違いだけで病気の発症を説明できるか」という視点で分析した結果、高血圧や糖尿病などの代表的な生活習慣病の発症率は、6,000歩グループで8,000歩グループに比べて2〜3倍となります。さらに活動量が下がり、「4,000歩・5分」レベルは「閉じこもり(ほとんど外出しない生活)」の境界線に該当します。この段階では発症リスクは3〜5倍へと急増します。最も活動量が低い「2,000歩以下」のグループは、自宅内でのトイレや入浴など、身の回りの最小限の動作しか行わない完全な閉じこもり状態の方々ですが、病気の発症率は5倍以上となります。年齢や性別の調整を行わない単純比較では、10倍以上という結果も出ています。データに基づく分析から、病気の原因の約6割は「閉じこもり」で説明がつき、そのうちの4割は「2,000歩以下」の極端な閉じこもりに起因しています。したがって、健康づくりの第一歩は、単に歩数を増やすことだけでなく、「まず閉じこもらないこと」が最も重要です。例えば奈良県全域では、この知見を取り入れて「おでかけ健康法」という名称で健康増進事業を展開しています。
サルコペニア患者では大手術後、高率に合併症を発症
がん治療で実施する大量肝切除は、肝臓の約6割から7割を切除する手術で、身体への負担(侵襲と言います)が非常に大きくなります。この手術を受ける患者さん計256人を対象に、手術前のCT画像を用いて大腰筋の面積を測定しました。なお、大腰筋面積は体格によって異なるため、BMIの計算と同様に「身長の2乗」で割って標準化します。男女で筋肉の大きさが異なる点を考慮して分類し、256人のうち筋肉量が下位3分の1に該当する患者さんを、手術前の「サルコペニア群」と定義しました。このサルコペニアを有する患者さんとそうでない患者さんの手術後の合併症発生率を比較すると、サルコペニア群では、お腹の中に膿が溜まる「腹腔内膿瘍」や、肝機能が著しく低下する「肝不全」を始めとする合併症の発症率が有意に高く、手術後の入院日数(在院日数)も長期化しました。
さらに、大量肝切除では術後のいわゆる「5年生存率」が最も重要視されます。サルコペニアの有無で5年生存率を比較したところ、筋肉量が少ない群で明らかに生存率が低い結果となりました。がん手術後の患者さんは再発によって亡くなるケースが多く、このデータは「手術前の筋肉量が少ないと、がんの再発リスクが高まる」ことを示しています。
また、筋肉量とともに重要なのが「運動能力」です。先ほどの青柳先生のお話にもあった「1秒で1m歩けるか」に関連した医療現場でよく用いる指標に、患者さんに6分間全力で歩いてもらい、その移動距離を測定する「6分間歩行距離」があります。大規模な手術を控えた患者さん81人を対象に、手術前に測定しました。歩行距離を50mごとに区切って計測し術後の重篤な合併症発生率を調査したところ、400m(秒速約1.1m)未満しか歩けなかった患者さんは、術後合併症の発生率がなんと8割以上と、非常に高率であることが分かりました。さらに、術後1年目の短期的な生存率を見ても、400mを歩けなかった群で有意に生存率が低いとの結果が出ました。たった1年の短期間に、明らかな差が生じるのです。
これらのデータから、手術前、特に我々が手がける腹部外科手術の前において、「筋肉量の少なさ」と「運動能力の低さ」は圧倒的に不利な要因であることが分かりました。それならば、手術前にこれらをできるだけ向上させておくべきだと、誰もが考えるでしょう。そこで私は2016年から、ある臨床研究を開始しました。
プレリハビリテーションの実施と内容
対象は全員がん患者さんで、術式はいずれも侵襲が極めて大きい肝胆膵領域の手術です。これらの患者さんに対し、手術前から運動の実施と同時に、筋肉のもとになるアミノ酸内服を行ってもらいました。このプログラムを「名古屋大学プレハビリテーションプログラム(Nagoya University Prehabilitation Program)」、通称「NUPP(ナップ)」と名付けました。
この臨床研究の目的は大きく2つで、1つ目は、体内にがんがある状態でも、プレハビリテーションによって運動能力や体組成、栄養状態が改善するかの検証。2つ目は、プレハビリテーションを導入した患者さんの術後合併症発生率や在院日数(入院期間)のデータと、導入以前の時期の患者さんたちのデータの比較検証です。当院では、まずがんの検査のために患者さんに入院していただき、その段階で運動能力、体組成、栄養状態を評価し、同時に「NUPP」の指導を行います。当院では通常、手術までに1~2ヶ月の待機期間があり、この間、患者さんには自宅で自主的なプレハビリテーションに取り組んでいただきます。現在の保険診療の制度では、この在宅期間中に医療者が介入することは認められておらず、患者さんご自身の努力に委ねるしかありません。その後、手術のために再入院した際、改めて運動能力、体組成、栄養状態を評価します。
患者さんが取り組んだ運動は決して強度の高い内容ではありません。具体的には、やや速歩きでのウォーキングを「週3日以上、1日30分以上」行う、ハーフスクワット、つま先立ち、ブリッジ、腹筋、腕の前方挙上など5種類の筋力トレーニングを「1日、2~3セットを週3日以上」実施してもらうというものです。当初指導を行った108人の患者さんのうち、参加辞退や除外基準に該当したケースを除き、最終的に76人がプレハビリテーショングループとなりました。比較したのは、このプログラム導入前の過去の症例から、「傾向スコアマッチング」という手法を用いて性別や年齢などの背景因子を揃え抽出された対照群76例です。
プレリハビリテーションの驚きの効果、がん患者の栄養と筋肉の指標が改善
プレハビリテーションを実施した群の運動能力と体組成の変化では、まず、6分間歩行距離が有意に改善し、時間内の歩行距離が約25m~35m延びました。それに伴い筋肉量の増加と脂肪量の減少が確認されました。見かけが同じ体格に対してどれだけ筋肉が付き脂肪が少ないかを示す「筋肉脂肪比」も確実に改善しており、私にとって大変衝撃的な結果でした。と言うのも、研究開始前は、体内にがんを抱えている以上、手術を待つ1ヶ月から1ヶ月半の間に患者さんの身体は衰えていくものと考えており、日頃の診察でもそのように感じていたからです。しかしプレハビリテーションによって、衰えるどころか筋肉が増強し、歩行速度も向上したのです。がんを発症している状態であっても、わずか1ヶ月から1ヶ月半の運動で運動能力や体組成を改善できるというこのデータは、極めて価値のある発見でした。
通常、体重はがんに罹患していると減少します。しかし、プレハビリテーション群では、行っていない群に比べて体重減少が明らかに抑制されていました。また、栄養指標である「血清アルブミン値」は、行っていない群が低下したのに対し、プレハビリテーション群ではむしろ上昇する結果が得られました。このデータは、運動とアミノ酸の摂取を組み合わせた相乗効果によるものと考えられます。最も重要な「術後合併症の抑制」についても、プレリハビリテーション群では様々な合併症を含め全体の発生率が低下しました。これを反映し、手術後の在院日数(入院期間)の中央値が7日間短縮しています。7日分の入院費や期間が削減されることは、患者さん本人の負担軽減はもちろん、病院経営や国の医療費削減の観点からも非常に大きなメリットがあります。この研究を通して、手術前の運動が極めて重要であることを改めて強く認識させられました。ただ、ここで「一体どれだけの運動量が必要なのか」という重要な疑問が生じます。
歩数と健康状態の関連が明らかに
名古屋大学では青柳先生が中之条研究で開発された身体活動量計を用いて、新たな臨床研究を行いました。78人の患者さんを対象に、朝から晩まで活動量計を装着してもらい、様々なデータを収集しました。その中で最も驚いたのは、手術を控えた患者さんの1か月~1.5か月間における1日あたりの平均歩数に非常に大きな個人差(バラつき)があったことです。ある患者さんは1日2,000歩未満にとどまる一方、平均で10,000歩以上歩いている方もいました。体内にがんがある状態で毎日10,000歩以上歩くのは相当な努力が必要です。ちなみに、手術直前の栄養指標の血清アルブミン値と手術前の1日平均歩数はきれいな正の相関関係が見られ、よく歩いていた人ほど栄養状態が良好でした。ただ、「歩いたから栄養状態が良くなった」のか、「元々栄養状態が良いから多く歩けた」のかは断定できませんが、少なくとも両者間の強い相関関係の存在が示されました。
そこで、分かりやすい基準として「1日5,000歩」というカットオフ値を設け、手術前の平均歩数5,000歩未満の群と、5,000歩以上の群を比較しました。5,000歩未満の患者さんは術後合併症、特に細菌感染に伴う「感染性合併症」の発生率がより高く、中でも菌が血流に乗って全身に広がり複数の臓器障害を引き起こす「敗血症」が高率で発生していました。この現象はプレハビリテーション前後に実施した血液検査の「総リンパ球数」で裏付けられました。総リンパ球数は免疫機能の優れた指標であり、免疫力が低下すると数値が減少します。プレハビリテーション前後で、歩数が多い人ほどリンパ球数が増加する正の相関関係が見られました。このデータは「しっかり歩くことで免疫能力が向上する」ことを示唆しており、先ほどの青柳先生の知見とも合致しています。現在私は、患者さんからの「どれくらい歩けばよいか」との質問に「最低でも5,000歩、歩ければ8,000歩でも10,000歩でも良いですよ」とお伝えしています。「筋肉」についてのお話はここまでです。
病腸内環境の良し悪しを何で評価するか
後半は「腸」をテーマにお話致します。近年、メディアなどでも腸の話題が数多く報じられています。人間の腸内には1,000種類以上の菌が、100兆個以上生息しており、その総重量は約1.5kgにもなります。私たちが排泄する糞便の約半分は、死滅した、あるいは生きている細菌で構成されており、我々はこれらの細菌と「共生」しているというより、むしろ細菌が我々の身体を利用しているのではないかと感じるほどで、腸内細菌の存在を無視して人間の健康を語ることはできません。つまり、腸内細菌叢は1つの独立した臓器として捉えることもできるのです。この臓器を構成する個々の細胞に相当するのが、一つひとつの細菌です。よく良い腸内環境が重要であるという言葉を耳にしますが、実際に「腸内環境の良し悪し」はどう評価すればよいのでしょうか。
筋肉量や筋力は容易に客観的に測定可能ですが、腸内細菌の評価は意外に困難です。腸内環境の良し悪しの基準は、「悪い腸内環境が身体に及ぼす悪影響」の解明にも、腸内環境改善の効果判定にも重要です。そこで、私が考える有用な評価指標は「便中有機酸濃度」で、糞便中に含まれる「有機酸」の量を計測します。私たちが摂取した食物繊維やオリゴ糖は直接腸で吸収されるのではなく、大腸の腸内細菌がそれらを分解・発酵して代謝産物として有機酸を生成します。主な有機酸には、コハク酸、乳酸、ギ酸、酢酸、プロピオン酸、酪酸、イソ吉草酸、吉草酸の8種類があります。このうち「酢酸」「プロピオン酸」「酪酸」の3つは「短鎖脂肪酸」と呼ばれ、近年その重要性が広く知られるようになりました。有用菌で有名なビフィズス菌や乳酸桿菌は、腸内で「乳酸」を産生しますが、実際に健康な人の便では、乳酸濃度は非常に低値です。その理由は、産生された乳酸を他の正常な腸内細菌が速やかに代謝し、最終的に短鎖脂肪酸に変えるためです。健康な便には短鎖脂肪酸の量が圧倒的に多く、乳酸はごくわずかしか含まれません。
肝臓手術を控えた患者さんの術前の便を分析し「便中有機酸濃度プロファイル」を作成したところ、やはり「酢酸」「プロピオン酸」「酪酸」の3つの短鎖脂肪酸の濃度が圧倒的に高いことが分かります。ところが、様々な要因によって「腸内環境の乱れ(ディスバイオーシス)」が生じると、この代謝プロセスが正常に機能しなくなり、その結果、最終産物である短鎖脂肪酸が減少し、腸内で未代謝の中間産物である乳酸が便中に過剰に蓄積します。したがって、腸内細菌叢が正常に機能しているかを評価する指標として、便中の有機酸濃度、特に「乳酸」と「短鎖脂肪酸」の濃度バランスの測定が極めて有用であると考えています。
短鎖脂肪酸の有用性
消化管は一本の管として、体外の世界や物質と直接接触しており、腸管はそこから栄養素だけを血液やリンパ液中に取り込み、有害な細菌などの異物の侵入を防ぐバリア機能を持っています。短鎖脂肪酸には、腸粘膜の血流や再生を促進して「腸のバリア機能」を高める効果があります。また、身体に有益な作用として、全身のエネルギー源となるだけでなく、肥満の予防、糖尿病の改善、アレルギー反応の抑制、活性酸素の中和など、多岐にわたる健康効果が報告されています。また近年では、便中の短鎖脂肪酸濃度と様々な疾患との関連性が明らかになってきました。脂肪肝、炎症性腸疾患(IBD)、脳疾患、糖尿病、さらにはがんなどの病気は、便中の短鎖脂肪酸濃度が低い人に多く発症するというデータが数多く報告されています。
さらに我々消化器外科の領域で手術を受ける患者さんにとっても、短鎖脂肪酸の重要性を裏付けるデータがあるのでご紹介します。大量肝切除を受けた患者さん44例を対象に、手術前の便を採取して有機酸濃度を測定しました。この大手術では術後に細菌感染による「感染性合併症」が高率で発生します。本調査で合併症を発症した13例と、発症しなかった31例のデータを比較した結果、合併症を起こさなかった31例では、便中の短鎖脂肪酸の濃度が圧倒的に高く、乳酸濃度は極めて低く抑えられていました。一方、感染性合併症を発症した患者さんは、短鎖脂肪酸の酢酸、プロピオン酸、酪酸いずれも濃度が低く、逆に乳酸が高濃度になっていました。各数値を合算した「総有機酸濃度」も、合併症発生群で明らかに低値でした。このデータは、手術後に合併症を起こす患者さんは「実は手術を受ける前からすでに腸内環境が悪化している」ことを示しています。
これはわずか44例の大量肝切除という特定の疾患・術式におけるデータですが、他の疾患や手術でも同様の傾向が見られるかを調査したところ、膵臓がんなどに対して行われる高侵襲手術「膵頭十二指腸切除術」を受けた210人や、食道がんに対して食道の大部分を摘出する「食道亜全摘」を受けた129人の患者さんを対象とした調査でも、同様の結果が得られています。すなわち、がんの種類や手術の術式を問わず、術前の腸内環境の悪化が術後合併症のリスクを高めるという共通の原因が存在するのです。
バクテリアルトランスロケーションとシンバイオティクス
ここで、極めて重要な鍵となる概念が「バクテリアルトランスロケーション(Bacterial Translocation)」です。「bacteria(細菌)」が「translocation(場所を移動する)」という意味の造語であり、本来は腸管内に留まるべき細菌が、腸壁を通り抜けて血液やリンパ液の流れに乗り、全身の組織や臓器へと侵入してしまう現象を指します。1979年にバーグ(Berg)が動物実験で証明しました。私たちは次のような仮説を立てました。「元々腸内環境が乱れている状態で、身体への負担が極めて大きい高度侵襲手術を行うと、バクテリアルトランスロケーションがさらに増強され、一般的な血液検査では検出できない微量の細菌が体内に侵入し、全身性の深刻な感染性合併症を引き起こす」というものです。私たちはこれまでの様々な研究を通じてこの仮説を立証してきました。この現象は動物実験にとどまらず、間違いなく人間の体内でも同様に発生しています。したがって、この悪循環を未然に防ぐ対策を講じなければなりません。その切り札が、「シンバイオティクス(Synbiotics)」による腸内環境の改善です。シンバイオティクスとは、乳酸菌やビフィズス菌といった人間に有益な生きた細菌である「プロバイオティクス」と、それらの菌の餌となり増殖を促すオリゴ糖や食物繊維などの物質「プレバイオティクス」を組み合わせ、同時に摂取するアプローチです。これによって大腸内で有益な細菌をより効率的に増殖させれば、腸内環境を改善できると考えたのです。
私たちは名古屋大学において、約20年にわたりヤクルト本社と共同研究を行ってきました。研究ではプロバイオティクスとして乳酸菌シロタ株400億個を含む「ヤクルト400」および、ビフィズス菌BY株が120億個含まれる「ミルミルS」を使用しました。これらにプレバイオティクスとして一般のスーパーマーケット等で購入できるガラクトオリゴ糖製品を組み合わせました。これまでに、大量肝切除、食道亜全摘、膵頭十二指腸切除術を受ける患者さんをはじめ、術前に化学療法(抗がん剤治療)を行う食道がんの患者さん、大腸がんの患者さんなどを対象に、患者さんを治療実施群(シンバイオティクス投与群)と非実施群(対照群)にランダムに割り振って効果を厳密に比較する「無作為化比較試験(RCT)」を複数実施してきました。その成果の一部をご紹介します。
シンバイオティクスのバクテリアルトランスロケーション抑制効果
初期の研究では、手術後の患者さんに対してシンバイオティクスを投与し、手術前、術後7日目、術後28日目に便を回収し、便中の有機酸濃度を測定しました。主要な短鎖脂肪酸である酢酸やプロピオン酸は、通常、手術の侵襲によって濃度が著しく低下し、術後4週間が経過しても元のレベルに回復しません。しかし、術後シンバイオティクス投与群では、短鎖脂肪酸の濃度が手術前と同等のレベルに維持され、大手術の侵襲後でも、腸内環境を術前の良好な状態に維持できることが証明されたのです。さらに、シンバイオティクス投与群で、術後の感染性合併症、とりわけ敗血症の発生率が有意に低い結果が得られました。この研究の実施はまだ腸内細菌の重要性がほとんど認知されていない時代で、学会でも腸内細菌について言及する医師はほぼ皆無でした。そのため、このような顕著な効果が確認された際、当の私たちでさえ「乳酸菌製品を摂取しただけで、これほど劇的な違いが出るのか」と、にわかには信じられないのが正直な心境でした。
この良好な結果を踏まえ、次の新たな臨床試験として「手術の2週間前から服用を開始したらどうなるか」を検証しました。介入群(Group A)には手術の2週間前からシンバイオティクスを服用してもらい、手術後はGroup B(術後のみ投与の対照群)とGroup Aの双方にシンバイオティクスを投与しました。本研究でも採取した便を分析したところ、服用開始前と比較して、術前の2週間服用を続けたGroup Aでは、手術の直前段階ですでに便中の総有機酸や短鎖脂肪酸(特に酢酸)の濃度が有意に高まっていました。手術後の両群へのシンバイオティクス投与によって、それぞれの腸内環境の差は術後も長期間にわたって維持され続けます。術後の感染性合併症や敗血症の発生率を比較したところ、手術前から服用していたGroup Aで、発生率がさらに低く抑えられる驚くべき結果が得られました。この頃から私たちは「シンバイオティクスには術後感染症を抑制する強力な効果があるのでは?」と考えるようになりました。ただし、まだ大量肝切除という単一の術式での検証であるため、他の高度侵襲手術でも同様の効果があるかを検証する必要があると考えました。
他の侵襲が大きな手術での効果とバクテリアルトランスロケーションの関与を確認
そこで、3番目の無作為化比較試験では、大量肝切除同様に侵襲の大きい「食道亜全摘術」を対象とした研究を行いました。この研究でもこれまでと同様シンバイオティクス投与群は合併症を起こしにくいパターンを示しました。つまり、シンバイオティクスの投与により術前から腸内環境が良好に保たれ、それが直接的に術後合併症の抑制に寄与していると考えられます。
本研究ではさらに、「シンバイオティクスが、バクテリアルトランスロケーションを抑制しているのか」を検証する血液検査を実施しました。手術中に「腸間膜リンパ節」を採取(サンプリング)し、さらに手術後の血液を採取します。これらの検体中から細菌が検出されれば、大腸内の細菌がリンパ液や血液中に漏れ出しているバクテリアルトランスロケーションが生じていると推測されます。通常レベルの検査では検出されないごく微量の細菌に対し、極めて鋭敏な方法で測定したところ、術前シンバイオティクス非投与群では、採取した腸間膜リンパ節サンプルの半数以上から細菌が検出されました。さらに、術後1日目の血液からも同様に半数以上で細菌が確認され、通常の検査では検出できない潜在的なレベルで、多くの患者さんの体内に細菌が侵入していることが明らかになりました。これに対し、シンバイオティクスの事前投与群では、細菌の検出率が約2割にまで抑えられていました。また、リンパ節から多くの細菌が検出された患者さんほど、術後の感染性合併症を高率に発症していました。私たちの立てた仮説と実証データの整合性が確認されました。
提示したデータは、手術の侵襲が加わった後に採取した腸間膜リンパ節や血液を分析したものであり、手術前の個々の状態による分類は行っていません。しかし、手術前からシンバイオティクスを服用していた群では、おそらく手術前の段階からすでにバクテリアルトランスロケーションが抑制されていたと考えられます。
現在、食道がんの治療において手術前に化学療法(抗がん剤治療)を行うことが標準化されています。抗がん剤の投与を受けると、腸管粘膜は大きなダメージを受けて著しく荒れてしまいます。そのような患者さんの血液を経時的に採取し、高感度な手法で測定すると、手術前の段階であるにもかかわらず高確率で微量の細菌が検出されます。つまり、手術の侵襲が加わる前(抗がん剤治療の段階)から、すでにバクテリアルトランスロケーションが発生しているのです。ここにシンバイオティクスを導入すると、血液中の細菌検出率が劇的に減少する効果が得られました。
がんを患っている患者さんはベースラインとして最初から腸内環境が乱れ気味であり、一般の方に比べてバクテリアルトランスロケーションを起こしやすい状態にあると考えられます。実際、共同研究でヤクルト本社に便の分析を依頼する際、ご担当者から「がん患者さんの便の組成は、健康な方のものと少し異なる」と指摘されます。同社が蓄積している数多くの健康な方の便データと比較して、がん患者さんの腸内細菌叢は既に少し乱れていることが多いそうです。このことからも、腸内環境の乱れが様々な疾患の引き金や悪化因子になっている可能性があると考えています。
現在では、国内外の様々な医学的知見においてシンバイオティクスの有効性が認められ、近年に相次いで改定された医療ガイドラインにおいて、「消化器外科」および「集中治療医学」の2つの主要領域で、シンバイオティクスの使用が正式に推奨されるようになりました。私たちが積み重ねてきた臨床的エビデンスも貢献していると考えています。また、私たちの研究成果が契機の一つとなり、医療現場でより扱いやすい医療用シンバイオティクス食品が開発され、ヤクルト本社から「シンプロテック」が上梓されました。現在、50の大学病院を含む全国約150の医療機関で正式に採用され、周術期管理のアプローチとして臨床現場に普及しつつあります。
筋肉と腸の相互作用
ここまでのお話で「筋肉が少ないこと」と「腸内環境が悪いこと」は関連しているのではないか、と疑問を持たれると思います。近年、この両者の相互作用(筋腸相関)が注目されています。その詳細はまだ明確ではありませんが、私がかつて別個に研究していた筋肉量と腸内環境の研究で得られたデータを、ある時突き合わせて解析したところ、やはり相関関係を見出しました。手術前に腸内環境が悪化している患者さんほど筋肉量が少なく、手術前の筋肉量が少ない患者さんほどバクテリアルトランスロケーションを起こしやすいというデータが得られたのです。これらの知見は論文としてまとめ、既に発表しています。
「筋肉量の減少」と「腸内環境の悪化」の密接なリンクの詳細な分子メカニズムには未解明な部分も残されていますが、いずれの要因も「全身の免疫力を低下させ、感染性合併症を引き起こしやすい身体の状態を作る」という点で共通しています(図2)。

そして、筋肉量の減少を防ぐアプローチが先述の「プレハビリテーション」であり、腸内環境の悪化を防ぐアプローチが「シンバイオティクス」です。「シンバイオティクスが筋肉の減少も抑制できるのではないか」「プレハビリテーションが腸内環境も改善するのではないか」という双方向の仮説については、現在も研究中ですが、最近になりそれを裏付けるデータが出そろいつつあります。まだ正式な論文にはしていませんが、ここ1〜2年のうちに公表できるのでは、と考えています。実際に、シンバイオティクスを内服しながら運動を行うことで筋肉量の減少が有意に抑制されるデータや、日常的に運動を行うことで腸内環境が良好に保たれるというデータが、臨床医療の現場からも集まりつつあります。
結論として、大規模な手術を控えている方はもちろんのこと、現在健康な一般の方々にも、日頃から「筋肉」と「腸」を意識して鍛えていただきたいのです。これはがんを発症した患者さんに限った話ではなく、病気になる前の健康な段階から日常生活の中で筋肉と腸を鍛えておくことで、病気のリスクそのものを低減でき、そして万が一、将来的に手術が必要な大病を患ったとしても、それを乗り切るための「底力」を身につけることができるのです。本日はご清聴いただき、ありがとうございました。
座長からの質問
●髙橋:横山先生、素晴らしいご講演をありがとうございました。健康な方であっても、測定感度を高めればごく微量のバクテリアルトランスロケーションが発生しているかもしれませんが、臨床上は問題になりません。しかし、がん患者さんの場合はその発生頻度が元々高く、さらに手術による高度な侵襲が加わることで現象が増強され、同時に免疫力も低下するため、深刻な問題に発展するということですね。だからこそ、術前に腸内環境を整えておくことが極めて重要であると。
●横山:その通りです。私はこの現象をあえて「潜在的菌血症」と名付けています。通常の病院で実施される一般的な「血液培養検査」では、患者さんの血液中に細菌が検出されることは稀です。しかし、私たちが導入した特殊な高感度測定法を用いると、術後に半数以上の高確率で細菌が検出されます。これは決して偶発的な結果ではなく、異なる疾患の様々な患者さんを対象に繰り返し検証を行っても、一貫して同様の高い確率で検出されることから、生体内で確実に起きている実像であると思っています。
この「潜在的菌血症」の概念は、現在の標準医療においてはまだ十分に認知・確立されていません。しかし、多くの臨床医や医療従事者は、経験的にその存在を察知しています。臨床の現場では、血液培養検査で菌が検出されないにもかかわらず、原因不明の高熱が続いたり、急激に臓器機能が低下したりする患者さんにしばしば遭遇します。こうした病態こそが、まさに「潜在的菌血症」の状態にあると考えられます。この目に見えない細菌の体内侵入を、より正確かつ精緻に捉えて制御していくアプローチが、これからの医療で重視されると思います。
●髙橋:大変貴重なご示唆をいただき、ありがとうございました。
●横山:ありがとうございました。