看護師として学び、実践してきた栄養療法|寄稿:山田繁代先生
2024.02.08在宅医療 , 栄養剤・流動食 , 栄養素 , 歴史「栄養ニューズPEN 」2021年10月号にご寄稿
【株式会社ジェフコーポレーション「栄養 NEWS ONLINE 」編集部】
元日本静脈経腸栄養学会 看護部会長、元兵庫医科大学看護部長
山田繁代
46年前初めてTPN患者を看護
私が初めてTPNを経験したのは、昭和50年(1975年)、当時勤務していた兵庫医科大学病院第一外科病棟であった。患者は「傍乳頭十二指腸憩室」で術後膵液廔を形成、長期間の絶食が必要となった。当科の岡本英三教授の要請で大阪大学(阪大)の岡田 正先生が来院され、鎖骨下静脈穿刺により中心静脈カテーテルが留置された。岡本教授は岡田先生の阪大第一外科の先輩である。数か月にわたるTPNの効果で患者は全快して退院された。以後、TPN症例は急増したが、患者からはTPN施行に伴って次のような訴えが多くあった。「絶食がつらい、夜間点滴が気になりよく眠れない、運動制限がある、頻回の採血・採尿が負担、入浴制限のために気分がさっぱりしない、絆創膏によるかぶれがある」などである。当時はTPNのテキストやマニュアル等はなく看護師は現場でのニーズに試行錯誤しながらTPN患者看護に携わった。医師はカテーテルを留置すること、薬剤の指示を出すこと、血糖測定を指示するのみで、あとはすべて看護師が管理の責任を持たされていた。
TPNの看護マニュアルを作成する
そこで私達は、TPN患者の日常生活行動の援助、治療法に基づく看護処置等について看護師間の統一を図るため、TPNの看護マニュアルを作成することにした。
看護師5名のプロジェクトチームを編成、阪大IVH研に毎週2回、交代で通い、IVH回診やカンファレンス等に参加して指導を受けた。阪大のIVHチームには看護師がいなかったので、医師や薬剤師の方々に大変親切にしていただき、中には、本気でIVHナースになろうと考えた者もいた。
私達は主に次のような問題について検討した。①固定絆創膏の種類、②血糖・尿糖測定の回数、③カテーテル刺入部のガーゼ交換及び輸液ラインの交換の方法と回数、④三方活栓の清潔操作法及び使用の適否についての細菌学的検証、⑤輸液しながら安全に歩行・洗面・排泄ができるための機材作成、⑥安全な入浴のさせ方、などであった。
看護手順は、日常生活援助と、代謝管理やカテーテル管理等治療処置に基づく援助とに明確に区分して作成した。岡田先生に完成したTPN看護マニュアルのチェックをお願いしたところ「素晴らしい出来栄えだ」とお褒めの言葉をいただいた。
間歇的高カロリー輸液法への取り組み
しかし、その後、長期間のTPN施行患者が増え、新たに種々の問題が生じてきた。
昭和56年(1981年)、腸型ベーチェット病で腸穿孔により過去に腸切除を数回受けた60歳の女性にTPNが施行された。残存腸管は小腸130cm、結腸30cmで、右下腹部より便汁が漏出し、小腸皮膚瘻を形成していた。TPNは経口摂取を開始すると症状が悪化するために施行された。患者は温和で我慢強く、病気のこともよく理解していたので、治療に積極的で特に問題なく経過していた。しかし、入院生活が3ヶ月経過した頃よりイライラし、怒りっぽくなり、時には沈みこむ等、精神的に不安定な状態になった。看護師には「入院が長い。時には家に帰って主婦らしいこともしたい」などと訴えるようになった。長期間のTPNによるストレスと考えて阪大IVH研に相談すると、「間歇的高カロリー輸液法(現在は周期的輸液法という)」を薦められ、指導を受けた。患者は大乗り気で、直ちに導入した。輸液は午後6時から開始して夜間に12〜13時間かけて投与し、投与終了後はカテーテルをヘパリン生食でロックした。
患者には低血糖の予防に飴玉をベッドサイドに常置すること、異常な症状があればすぐ看護師に知らせること、輸液終了後30分から1時間は血糖値が低下するので外出を控えること等を指導した。
看護サイドでは、ロックによる感染を予防するため、ガーゼ交換や輸液セット交換、またカテーテルのロック時、輸液開始時の清潔操作を確実に行うよう徹底した。この方法により患者は、昼間買い物に出かけたり編み物をしたりするなどができるようになり、ストレスから解放され、精神的にも明らかに安定した。またロック時のカテーテルは邪魔にならぬようパジャマにポケットを作って収納し、少しでも快適な気分を味わってもらうため、入浴時には、カテ—テルをループにして小さく平らにまとめて滅菌ガーゼ1枚で包み、その上に透明の絆創膏で覆うよう貼り,その周囲にサージカルテープを貼って入浴させた。現在の長期間のTPNのためにCVポートを埋め込む方法からは考えられない状況であった。
在宅静脈栄養法(HPN)への取り組み
昭和から平成にかけて医療状況は大きく変化した。変化の一つに在宅医療の推進があり、栄養療法においても在宅静脈栄養(HPN)が導入されるようになった。
平成元年に胃がんで化学療法を受けている患者が、残された人生を自宅で過ごしたいとHPNを希望した。私達は医師、看護師、薬剤師から成るチームを編成し、段階的に準備を進めた。HPNの方法は皮下埋め込み式カテーテルを用いた間歇的輸液法とした。導入において最も重要なのは介護者への手技などの教育である。100項目からなる教育プログラムを作成し、キーパーソンとなる患者の長男に指導した。長男が基本手技をマスターした時点で3日間の試験外泊を行い、問題がないことを確認してHPNを開始した。退院後は週一回外来を受診して化学療法を受け、私達はHPNに関連する評価を行ったが、特にトラブルなく経過した。患者は孫と遊んだり妻と買い物に行ったりして過ごされたが徐々に病状が悪化して自宅で永眠された。HPN施行日数は78日であった。
HPNの目的の一つはQOLの維持と向上である。私達が経験した症例は第1例目であったが、この目的を真に果たせたと思っている。
それ以後、しばらくは「介護者がいない、住宅事情が悪い、医療費の保険不適用、経済的問題」などが要因でHPN患者が増えなかったが、現在は在院日数の短縮、患者ニーズの多様化、在宅医療支援体制の整備等によりHPNは普及し、患者数も著しく増加している。
HPNで看護が担うべき役割は、HPNにおける患者のセルフケアの確立とそれを支える医療環境を整えることである。そのために詳細な教育プログラムの作成、患者及び家族への一貫した指導、退院後に関わる施設等との綿密な連携体制の確立が重要である。
安全に経腸栄養を実施する:ミルトン消毒法は子育て中の看護師による発案だった
昭和57〜58年(1982〜1983年)頃、兵庫医科大学病院第一外科病棟では食道癌・胃癌患者の術後に空腸瘻から経腸栄養:ENを施行する患者が常時5〜6人いたが、下痢が頻発し、しばしばENを中断せざるを得ない事例があった。下痢の原因としては注入速度・濃度・温度および感染などがあり、私達は便の性状や回数を見ながら速度・濃度を調整したが下痢は改善しなかった。ENの管理は経腸栄養剤の調製から終了までのすべてを看護師が担っていたが、ある時、一人の看護師がEDバックに調製した経腸栄養剤を入れる際「EDバッグ内で酸臭がする」と言った。当時、密閉式ディスポーザブルのEDバッグ及びチューブを使用していたが、交換は1日1回で、使用後に中性洗剤で洗浄し、繰り返し使用していた。そこで細菌による下痢ではないかと考え「EDバッグ及びチューブの消毒法及び経腸栄養剤の調製を何時間ごとにすれば良いか」について実験・調査することにした。EDバッグ・チューブの消毒については、チームの中に子育て中の看護師がおり、哺乳瓶や乳首をミルトン液で消毒している経験から、EDバッグ・チューブを使用後にミルトン消毒してはどうかと提案した。そこで、EDバッグ・チューブを中性洗剤で洗浄しただけのものと、洗浄後に150倍希釈したミルトン液で消毒したものの細菌数を調査して比較する実験を以下の方法で行った。
①EDバッグ・チューブを2セット用意する。
②調製したに経腸栄養剤を2つのバッグに入れ、室温保存して6時間後に廃棄する。
③2つのバッグ・チューブをそれぞれの方法で洗浄・消毒し、その後に生理食塩水20mLを通してその液を採取し、細菌培養を行う。
④前記②、③の操作を同一のバッグ・チューブについて10回繰り返す。
結果は中性洗剤で洗浄しただけのものは5回目以後に細菌が検出され、7回目以後は回数を追うごとに細菌の増加がみられた。検出された細菌はStaphylococcus Pseudomonas,Gram(—)桿菌であった。ミルトン消毒したものでは10回目まで細菌は検出されなかった。この結果からミルトン消毒することによってディスポーザブルのEDバッグ・チューブを繰り返し使用できることが細菌学的に証明された。
細菌学的に検証することで患者の安全と安楽に貢献
次に「経腸栄養剤の調製及び交換を何時間ごとにすれば良いか」について調製後の経腸栄養剤中の細菌の増殖を経時的に調べた。ミルトン消毒済みのEDバッグに経腸栄養剤を入れて室温で保存し、6、12、18、24時間後にバッグ内から経腸栄養剤を採取してそれぞれの細菌培養を行った(n=3)。経腸栄養剤調製後6〜12時間までは細菌学的に問題はなかったが、18時間以後になるとBacillus cereusを検出すると共に総細菌数は増加した。以上の結果から経腸栄養剤は12時間毎に調製し、EDバッグ・チューブも経腸栄養剤とともに交換し、使用後は1時間以上ミルトン液に浸しておくことに手順を変更した。その後原因不明の下痢でENを中断することはなくなった。2つの調査は、ふだん私達が慣習で行っている看護行為を細菌学的に検証することで患者の安全と安楽に貢献する機会となったといえる。
臨床栄養に感謝!
こういう現場における活動の結果、岡田先生に臨床栄養の学会や研究会などに引っ張り出されることとなった。1998年、日本静脈経腸栄養学会の理事長であった小越章平先生に看護部会の代表に指名され、日本全体の看護師の臨床栄養領域の活動を考える立場となった。おかげで高名な日本を代表する方々と接する機会も増え、ある意味、非常に豊かな活動をできるようになった。人生を豊かにしてもらったと思っている。
自分の歴史を振り返りながら今考えているのは、かつての私自身の活動の根底にあったのは患者さんであり、その患者さんに看護師としてできるだけのことをしてあげたいという気持ちであった。自分たちの経験や知識が足りなければ、さまざまな形で勉強し、研究し、そして活動した。患者さんの一番近くにいる職種である看護師として、もちろん臨床栄養の領域だけのことではないが、精いっぱい活動してきたなあ、と思っている。看護の現場も私が活動してきたころとはかなり変化してきている。しかし、患者さんのため、という根本的な考えは変わっていないはずである。もちろん「栄養」は大事である。私は食べられない患者さんに対する栄養管理にかなり力を注いできた。そういう意味で、これからの看護師には、もっと静脈栄養や経腸栄養にも力を入れて欲しいと願っている。
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