「 少しは貢献できたかも … 」| 寄稿: 井上 善文 先生 Part 2

2023.08.09フレイル・サルコペニア , 歴史

「栄養ニューズPEN 」2022年1月号にご寄稿
株式会社ジェフコーポレーション「栄養 NEWS ONLINE 」編集部】

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CV ポートを用いた HPN

高木洋治 先生と岡田正 先生の功績として在宅静脈栄養 HPN システムの開発がある。1980 年にはその方法は確立し、器具もほぼ揃っていた。その頃、用いられていたカテーテルは体外式で、 O 型シラスコンカテーテルから Broviac catheter に代わっていた。1986 年の第1回静脈経腸栄養研究会で、当時、帝京大学におられた長谷部 正晴 先生がCVポートを用いた HPN 症例を報告した。プールで泳いでいる写真で報告した、衝撃的であった。 HPN をしている症例が泳いでいる!その頃、阪大の高木先生が診ている HPN 症例は20 例ほどであった。この発表の後、高木先生は CV ポートを HPN に用いるという方針を打ち出された。私が CV ポートの管理を任されていたので、新規症例やカテーテルを入れ換える症例に積極的に CV ポートを用いた。1987年には学会で使用経験を発表し、成績は1988 年と1989 年に論文として発表した。本邦初の、 CV ポートを用いた HPN の臨床成績であった。5 歳の男児にも CV ポートを埋め込んだが、これは、本邦で初の小児に対する CV ポートによる HPN であった。

 

Hickman’s dual lumen catheter を用いた積極的化学療法

血液疾患症例に対する積極的化学療法においては、輸血、採血、さまざまな輸液、 TPN など、中心静脈カテーテルを多目的に使う必要がある。内科では末梢静脈で管理して、血管がぼろぼろになり、採血すらできなくなる患者が多かった。化学療法実施中、血小板も減少してにっちもさっちもいかなくなった頃に IVH 研に中心静脈カテーテルを入れて欲しいという依頼が来るのであった。血小板数が1 万/ mm3 に減少した状態での依頼、こんな状態まで待たないで欲しい、と何度も思った。そこで、化学療法を始める前にカテーテル挿入を依頼してもらうことにした。さらに、通常使っていた single lumen catheter では、輸血・採血はできない。 Hickman ’ s dual lumen catheter が米国から輸入された頃であったので、これを用いることにした。成人、小児、かなりの症例に使った(写真 6 )。このカテーテルを挿入すれば、患者さんは身体に針を刺されることがなくなるので、非常に喜ばれた。このカテーテルには I-system を用いて感染対策も行なっていた。この使用経験も論文として発表した。成人症例を、当時の日本癌治療学会雑誌に投稿したところ、「 この雑誌にカテーテル管理の論文は掲載されたことはない 」という査読者からのコメントで、ほぼ reject であった。しかし、『 英文誌の Cancer などには、このような化学療法実施中のカテーテル管理の成績についての論文はたくさん掲載されています、貴誌も掲載範囲を広げるべきではないですか 』と、若造が、と思われるようなコメントの手紙を出した。採用してもらった。忘れられない思い出である。

 

写真6 HDLC:Hickman’s dual lumen catheterの使用方法
片方の腔はTPN専用として使用し、もう一方の腔を多目的(薬剤投与,輸血,採血など)に使用した

 

Duke 大学へ留学

1988 年に日本に導入されたエンシュアリキッドの発売記念講演会に Duke 大学John P. Grant 教授 ( 1986 年の A. S. P. E. N. 会長 ) が来日された。岡田先生から Grant 教授に依頼していただき、私は Duke 大学に留学することになった。それまで、私には留学という考えは全くなかった。岡田先生に North Carolina の Duke 大学へ留学しなさい、と言われた時、ノースキャロライナってどこにある? 不二家のキャンディーにノースキャロライナというのはあるが、という程度のイメージであった。1989 年 10 月に留学した( 写真7 )。

Duke 大学は米国でトップクラスの名門大学にランクされている有名私立大学で、ノースカロライナ州の Durham市にあった。バスケットボールが有名で、私が在籍した 1991 年には全米チャンピオンになった。 Grant 教授は Duke University Medical Center の NSS ( nutrition support service )の director で、 Glutamine 輸液の研究をしておられた。私は、 NSS の活動に参加しながら、ラットに CVC を挿入して Glutamine を補充したTPN の実験を行った。TPN による腸管粘膜の萎縮に対する効果、敗血症症例に対する効果、についての実験を行った。正直、 Grant 教授は非常に優しい方で丁寧に指導してくださったが、研究者は私一人であり、研究室としての活動度は高くなかった。私は Glutamine 加 TPN 輸液を投与したラットの実験を行い、 JPEN に2編の論文が掲載された。

NSS の活動は非常に活発で、本場の NST 活動の実態を経験させてもらった。医師、薬剤師、栄養士、看護師、それぞれ専属で活動していたので、それぞれの役割を理解した。

2 年の留学期間を終えたら帰国する予定であったが、岡田先生からフロリダ大学 Wiley W. Souba , associated professor ) へ移らないか、との話が来た。この時点で帰国しても、阪大では私のポジションはない、だから、もう少しアメリカにいなさい、という意味もあったようである。私自身、 2 編の論文を書いただけで帰国するのはもったいないと思っていたので、この話を受け入れてフロリダ大学へ移ることにした。この話をしたところ、 Grant 教授から、もう少し Duke 大学に残って仕事をしないか、と誘われたが、 Souba 先生の研究室の activity が非常に高いことを知っていたので、移ることにした。 1991 年 11 月に移動した。ノースキャロライナ州の Durham からフロリダ州 Gainsville への大移動であった。

 

写真7 Duke 大学に留学(1989年10月~1991年10月)

 

University of Florida へ移動

Souba 先生は、 Dudrick SJ 先生の一番弟子である。 Florida 大学外科の chairman は、 Dudrick 先生の同僚の Copeland 先生で、フロリダ大学外科の活性化のためにとSouba 先生が招かれて赴任したと聞いた。非常に活発に研究をしておられた。 Glutamine に関する実験に特に力を入れておられ、 6 人の Research fellow が在籍していた。その中の一人が Dudrick 先生の息子、 Paul Dudrick であった。実験体制が確立していて、私は、 11 月に研究室に入ったのであるが、すぐに実験を開始することになった。主な仕事は肝細胞膜におけるアミノ酸輸送システムの解析で、細胞膜の vesicle  ( 小胞 ) を作成して測定した。土曜日、日曜日も毎日、毎日、測定に明け暮れた。 Souba 先生は、俺も土日も働いているが、お前もだな、と喜んでくれた。とにかく、実験データを揃えると、次の実験はこれだ、とプロトコールを見せられ、私はそのプロトコールに従って測定する、その繰り返しであった。在籍期間は 1 年 4 か月であったが ( 写真 8 ) 、発表した論文は、肝細胞膜および腸管粘膜のアミノ酸、特にグルタミンの輸送システムの解析に関して、筆頭 11 編、共著 7 編、であった。

Duke 大学留学中には日本の方との交流もかなり多かったが、Florida 大学ではほとんどなかった。 Duke 大学では週 3 回くらいゴルフをしたが、 Florida 大学ではゴルフにも行かず、ひたすら実験をし、論文を書いた。留学期間が 3 年になり、そろそろ帰国しなければと考えるようになった。 Souba 先生は手術ができるポジションにしてやるからもっとここで研究をしないか、と言ってくださったのであるが、私はやはり日本で外科医として手術を中心とした仕事がしたかったので、 1993 年 3 月に帰国した。米国での 3 年半は、外科医としては空白期間であった。 3 年半、臨床の現場から離れていたことになるのである。

 

 

 

写真8

 

帰国後、大阪府立病院消化器一般外科へ

帰国に際しても一悶着があったが…。大阪府立病院へ勤務するための手続きの関係で、勤務開始は 1993 年 5 月からとなった。4月 は空白期間になりそうであったが、 IVH 研の先輩、金昌雄先生が院長をしていた白鷺病院に雇ってもらった。日本での生活を開始する上で、この 1 か月間は非常に貴重であった。

大阪府立病院では ( 写真 9  ) 、外科医らしい生活を送らせてもらった。数多くの手術に加え、術前術後管理、臨床研究、論文執筆、非常に忙しい毎日であった。NSTは設立していなかったが、看護師さん達といろいろ、臨床研究を行った。 ① がん患者の緩和ケア、 ② 在宅静脈栄養、 ③ 末梢静脈カテーテルの静脈炎、 ④ 中心静脈カテーテル管理の感染対策、 ⑤ 結腸切除術後の早期経口摂取開始 ( エレンタール、エンシュアリキッドの飲用 ) 、 ⑥  PICC 、 ⑦  PEG 、など。終末期がん患者に対する在宅静脈栄養も積極的に実施した。看護師さんにも発表してもらい、当時、大阪府立病院は臨床栄養の領域で結構、有名になっていた。このPEN にもその活動などを掲載してもらった。 1996 年と 1997 年には A.S.P.E.N. 米国静脈経腸栄養学会で看護師さんに発表してもらった。すべての準備は私が行ったのであるが、おそらく、日本の看護師で一番早く A. S. P. E. N. で発表したのは大阪府立病院の看護師さんである。

1995 年 1 月 17 日に阪神大震災が起こった。クラッシュ症候群で短腸症候群となった症例を管理することになり、いろいろ勉強させてもらった。TPN による栄養管理が非常に難しい症例でもあったし、 CV ポートのポートを埋め込む位置をしっかり考えるべきであることを教わったのもこの患者さんである。振り子状乳房であるためにカテーテルが抜浅するという経験をし、英語で論文を執筆した ( 写真10 ) 。

この頃からPEGが徐々に普及し始めた。大阪市立大学曽和融生先生が中心となって関西経皮内視鏡的胃瘻造設術研究会が設立され ( 日本で最初の PEG の研究会, 1995 年 )、私も第 1 回から参加した。第 12 回 (  2006 年 ) から、私が代表世話人になって 「 関西 PEG ・栄養研究会 」と改称、第 21 回 ( 2015 年 ) から 「 関西 PEG ・栄養とリハビリ研究会 」として活動を継続している。

 

写真9 大阪府立病院消化器一般外科
結腸切除術後,翌日からエレンタール,エンシュアリキッドを飲む,という管理を行った。現在の ERAS の概念である。 1994 年から実施した。 1993 年には日本で最初にカテーテル先端にバルブ機構を有する Groshong port を HPN 症例に使用し, 1994 年から Groshong catheter を用いた肘 PICC を使用した。

 

写真10

 

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