訃報 標葉 隆三郎 先生

2025.12.09フレイル・サルコペニア

訃報 標葉 隆三郎 先生

2025年8月26日、標葉 隆三郎(しねは りゅうざぶろう)先生が逝去されました。享年72歳でした。標葉先生のご逝去の報に接し、深い悲しみとともに、長年にわたるご功績に心より感謝と哀悼の意を表し、ここにその足跡と貢献を振り返ります。

ご略歴ならびに研究・臨床分野での貢献

標葉先生は、東北大学医学部外科学講座のご出身であり、手術侵襲下における生体反応や代謝変動、侵襲軽減策としての栄養・輸液管理に関して、臨床と基礎の両面から研究を積み上げられました。
例えば、安定同位体や微小透析法(microdialysis)を用いた代謝解析をはじめ、術前ステロイド投与による生体反応軽減、Naリッチ輸液の導入など、臨床と基礎を往還しながら数々の実績を残されています。また、輸液製剤の開発・改良に関わる治験についても造詣が深く、産学連携のための橋渡し役として臨床導入や実践的取り組みに貢献されました。
その研究活動の根底には、常に「生体の反応を理解し、患者にとって最良の治療を行う」という強い使命感があり、「for the Patient」を合言葉として医療に臨む姿勢は、広く後進に受け継がれています。

ご略歴
1975年3月 東北大学医学部医学科卒
1981年4月 東北大学医学部第二外科(葛西外科)入局
1995年    東北大学医学部第二外科講師(現 先進外科)
2000年6月   医療法人伸裕会渡辺病院 院長
2012年4月 医療法人三喜会横浜新緑総合病院 院長
2014年7月 医療法人社団茶畑会 相馬中央病院 院長

東日本大震災下の医療現場で―医療者としての矜持―

2011年3月11日、東日本大震災と福島第一原発事故が発生。当時、標葉先生が院長を務めておられた渡辺病院(南相馬市)は原発から30km圏内にあり、地震と津波、放射能災害という三重の危機に直面しました。先生は建物の損傷や停電、燃料不足の中で大勢の患者を受け入れ、脱水・低体温に対する緊急輸液・加温治療を続けました。
原発事故により職員の多くが避難を余儀なくされる中で最後まで現場に残り、患者の転院先を自ら探し出し、人工呼吸器患者を含む入院患者全員の避難搬送を完遂したといいます。―「どんな地震でも津波でも、まず患者を何とかしてからだ。」―この言葉には、標葉先生の医療者としての覚悟と矜持が凝縮されているように思えてなりません。
また、先生は「被災地域の栄養医療体制の構築」や「栄養とメンタルケアの統合」の必要性をいち早く提唱しておられました。そのご発言には、震災による混乱の最中、人工栄養を含む適切な栄養管理こそが高齢者の命を守る最後の砦になり得ることを、身をもって実感した医療者ならではの重みが感じられました。

東日本大震災における医療現場の実情を伝えた本紙2011年5月1日号の巻頭ページ。 標葉先生は、震災発生から僅か1か月足らずという極度の多忙と混乱の最中にもかかわらず、同号の取材にご対応くださった。

「見捨てない医療」の実践

震災後、標葉先生は相馬中央病院に活動の拠点を移し、地域医療の再建に尽力されました。ご自身も浪江町のご出身であり、原発事故により故郷を失いながらも「地域のために医療を取り戻す」という信念を貫かれました。
近年は緩和ケアにも積極的に取り組まれ、相馬中央病院では急性期と療養病床を併設し、経管栄養やTPNを活用しながら透析終末期の患者も受け入れる体制を整備。「何もされない」患者を作らず、「できる限りの医療を提供する」ことを基本方針とされました。
ホスピス医療に対する標葉先生の哲学は明快で、「ホスピスは“死にゆく場所”ではなく、“生きる場所”である」「諦めない・見捨てない―それが医療の原点である」をキーワードに、「見捨てない医療」「生活の質を支えるケア」の両立を真のホスピスマインドとして位置づけ、急性期・療養・栄養・介護の境界をつなぐ実践に尽力されました。

信条は「運・鈍・根・感」

運: 人とのめぐり逢いを大切にすること
鈍: 焦らず、地道に努力を積み重ねること
根: 根気強く続けること
感: 感性を磨き、ひらめきを大切にすること

標葉先生は、人生の信条として「運・鈍・根・感」を掲げておられました。
また、“幸せの条件”として挙げておられたのが「退屈しない・過労にならない・被害者意識を持たない・他人を羨まない・ものに執着しない」という五つのキーワードでした。
実際、これらの言葉は先生ご自身の生き方にも色濃く反映されており、研究・臨床・教育の全てにおいて熱意と謙虚さを併せ持ち、周囲の人々に安心と刺激を与える存在であり続けました。
標葉先生は大変温厚なお人柄で、ご講演やインタビューなどでは難解な理論をできるだけ平易な言葉で解説するように心がけ、「現場で使える知識」として伝えるための努力を惜しみませんでした。その語り口は常に穏やかでありながら力強く、いつも聴き手の心に深く響いていました。

この度のご逝去の知らせを受け、改めて標葉先生のご功績に深く感謝申し上げます。
ご専門分野だけにとどまらず、医療・研究の未来や人材育成など、先生が残してくださった数々の軌跡が、これからも多くの人々の励みとなること
を確信いたしております。
標葉先生に謹んで哀悼の意を表しますとともに、ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

「栄養ニューズPEN」編集部一同

 

本紙1998年1月1日号にて、「栄養治療の最前線」をテーマとした新春座談会(司会:小越章平先生)を企画 した際には、座談会メンバーのお一人として標葉先生にもご列席いただいた。標葉先生は、高カロリー輸液 製剤のキット化における現状と課題、そして将来展望などについて熱く語っておられた。

本紙2021年5月1日号には、「道程:栄養輸液・侵襲学と私」と題したエッセイをご寄稿いただいた。 このエッセイの中で標葉先生は、ご自身が外科を志したきっかけや東北大学第二外科での研究活動などについて触れるとともに、その背景にある人との出会いの大切さにも言及された。

最後に本紙にご登場いただいたのは、本年4月1日号であった。 この時のテーマはホスピス医療に関するもので、標葉先生は本インタビューにおいて「ホスピスは痛みを取って安らかに人生を全うしていただく場」であり、「経管栄養やTPNも活用した“見捨てない”医療を実践している」と述べておられた。